「8時だョ!全員集合伝説」です
著者は、「8時だョ!全員集合」の
プロデューサーであった居作昌果さんです。
この本は非常に面白かったです。
1969年から、半年間の休止期間を挟み
1985年まで、なんと足掛け16年にも及び、
土曜日の夜8時のゴールデンタイムに
君臨してきた「8時だョ!全員集合」の
成り立ちから全盛期、そして末期までを
番組作りに一番関わってきた
プロデューサーの方が克明に記した内容です。
とにかく驚く事ばかりです。
今更ですが、あらためてこんな番組を、よくもまあ
作り続けてきたと思います。
今なら、「生放送のバラエティ番組」なんて
まず難しい。ましてや、ほぼすべてに近く、
全国の会場で公開生放送なのですよ。
信じられないです。
ドリフターズの5人は、木曜日から土曜日までの3日間の
スケジュールを毎週、抑えられております。
流れ的には、木曜日に「翌週」のアイデア会議をおこないます。
これはドリフ、スタッフの全員で知恵を出し合います。
たとえば、高速道路を建設してる真下に住む、あばら家に
住む家族がいて、工事の騒音に悩まされてるとした場合、
どのような事が想定されるか?
みんなで意見を出し合います。
工事の振動で、モノが落ちる、柱が曲がる、床が傾くなど
出てくるのですが、トイレに入ったらドアが開かない場合、
そこから派生する面白い事はないか?なんて。
開こうとしても開かない、思いっきり開こうとしたら
ドアが外れて、中で用を足してる姿が見えてしまったり。
水道管が破裂した場合は?道路工事の車両が
家に突っ込んで来たら?
そんな感じでアイデアと同時にセット作りの発注を
おこないます。家を傾けさせたり、実際の車を
突っ込ませる場合は、セットのあばら家も
それなりの耐久性がなくてはいけません。
セット作りの美術スタッフたちは決して
「こんなの無理です」なんて事は言いません。
なんでもとりあえず受けてしまう。
それどころか、美術スタッフが
「水道管が破裂する箇所が何か所もあるほうが
面白いよ。こっちを閉めればあっちから水が噴き出す、
なんて」とか、自分たちの仕事が更に
大変になるような事まで言い出したりします(笑)
そうして夜中まで翌週のアイデアを出し、方向性が
決まったら、金曜日は、前の週の木曜日に
決まったアイデアを元にした台本を読み合わせ
実際にセットを組んだ状態で入念なリハーサルを
おこないます。せっかく苦労して作ったネタや
大がかりなセットの仕掛けも、実際に
やってみて面白くなかったら本番では使いません。
「せっかく考えたのに」なんていうものは
ないのです。
そうして、夜には地方会場に移動し
翌日の土曜日は、朝から通し稽古。
午後にはお客さんが入り始め、
夜8時からの本番を迎えるわけです。
ゲストも、とにかく豪華です。
その当時の芸能界のトップスターの
ほとんどが番組にゲスト出演しています。
驚くのが、あの三船敏郎まで出演してます。
実際に侍のコントまでやっており
退場する時は、ヒゲダンスまでやる(笑)
会場は大喝采でした。
世界の三船は合唱団コントにも出て
早口言葉に挑戦。あまりの出来の悪さに、
一緒にゲスト出演してた五木ひろしと
沢田研二が笑い転げてる図も、今考えても
凄い事です(笑)
俳優、女優、歌手、みんなトップスターばかり。
今に例えれば(少し古いが)、安室奈美恵と
浜崎あゆみと宇多田ヒカルの3人が一緒に
出演して歌を唄い、体操コーナーではブルマ姿で
体操したりするようなものです(笑)
宇多田ヒカルさんのお母さんである藤圭子さんは
お姫様役で、よく番組に出演してました。
とにかく、この番組は日本のバラエティ界の
勢力図を完全に変えました。
それまではクレイジーキャッツがスターでしたが
メンバーそれぞれの仕事が忙しく、グループとして
成り立たなくなってました。
その後の頂点に君臨したのがコント55号の二人です。
その王者55号に真っ向から戦いを臨み、
勝利し、新しく王者になったのが
ドリフターズです。
ただ、頂点を極めたからこそ、メンバーとスタッフの間で
軋轢が生じてきます。
ギャラも開始直後よりも10倍以上あがり、
ドリフの面々としては、ここまで人気が出たのは
もちろん俺たちドリフのおかげだ、となります。
ただ、TBSのスタッフたちとすれば
メンバーと一緒に頑張ってきた自分たちのおかげでもある、
なんて思う。もちろんドリフが一番だけど、
スタッフだって頑張ってきたのだ、と。
それがまったく感謝されなければ面白くは
ありません。
本では、どうしてもいかりや長介さんに対する
風当たりが強くなってますが、もちろん著者も
「あくまでも自分たちスタッフからの目線であり、
いかりやさんからしてみれば違うのも当然」との事。
怪物番組を続けて入るけど、内情はうまくいっておらず、
様々なトラブル、そしてフジテレビで始まった
「ひょうきん族」が徐々に力をつけていき、
最終的には番組終了となりました。
とくに後年、いかりやさんが「もうネタ作りには疲れた。
俺はアイデア会議には参加しない。みんなが作った
ネタをその通りに演じるよ」なんて言って
会議に出なくなります。
それに対し、ここぞとばかりに、加藤茶さんと志村けんさんは
ネタ作りに励むのですが、仲本工事さんが
「絶対に後で揉めるよ。それが長さんなんだから・・・」と。
実際に仲本さんの言った通りになるわけで
ここはグッときましたね(笑)
とにかく、今考えても凄いバラエティ番組を
長きにわたり作った事は本当に素晴らしいです。
とくにライバルであった北野武さんが
「全員集合のコントは、今見ても面白い。今でも
十分通用する。でも、ひょうきん族は今見ると
まったく面白くない」とコメントしてるのが
印象に残っております。
あらためて思いますが、
ゲストで出てた昔の芸能人って凄いですよね。
演技もして歌も唄って、それでいてバラエティ番組まで
出て、一緒にコントまでやるのですから。
なんでもやっちゃうんですよね。
今なんて、歌手なのに歌番組に出ない人が
たくさんいるではないですか(笑)
トーク番組とかも、「歌とは関係ない事はしたくない」とか。
「自分はお芝居だけやりたいから」とか。
こう言っては何ですが、それしかしたくないのではなく
それしかできないのですよ。
それと、今は「何が何でも出たい」というテレビ番組が
ないのかもしれませんね。
番組のミニコーナーである、少年少女合唱団では
白いスモックに白いベレー帽で、まさに少年聖歌隊の
姿になるのですが、この衣装に憧れたアイドル歌手は
当時たくさんいたそうです。
そして、最後に印象に残ってる事として
高木ブーさんのコメントを紹介します。
「ドリフは、ひょうきん族とかをライバル視
したりした事ないし、他の芸人さんたちを
恐れたりした事もない。一番恐れていた事は
自分たち自身、すなわち自分たちの健康管理。
毎週、全国のお客さんの前に出れるように
とにかく体調管理に気を使い続けた16年間だった」
いや~、グッときました(笑)
この記事へのコメント
志村けんのギャグが中心になった後期よりも、志村けんの加入前から直後くらいの、メンバー全員が若くて元気なころが特に面白かったと思います。
ひょうきん族のほうが若者向けで、ドリフは子どもが見るものみたいに言われた時期もありましたが、やっぱりドリフの体と大道具をフルに活かしたコントの面白さは時代を超えた笑いです。
ひょうきん族は、頭で考えたギャグかな。コントをやっても、どこか素人が内輪で悪ふざけしている感が拭えなかった、かも。
なんて、今になったから言えることなんですが(笑)。
みんな楽しそうに、真剣にコントに向かい合っている。
今の歌手は意識ばかり高くてエンタテイナーとしての覚悟が足りないのかも。
だから、自分のことを「アーティスト」だなんて僭称するのかな。
高木ブーさんの言葉もグッと来ます。
自信がないと言える言葉ではありません!
ひょうきん族とかは、いわゆる「内輪ウケ」を
そのままテレビで流した感じですよね。
その後の、とんねるずとかに通じる、というか。
(でも私はお笑いでは、とんねるずが一番好きでしたが)
ドリフは、そのような内輪ウケとか業界用語使ったり
番組スタッフが出演したり、なんて事をせず
純粋に「笑い」1本で勝負したところが凄いです。
それと記事にも書きましたが、当時のゲストの
人達の凄さですよね。なんでもやらされてた、とも
言えるけど、なんでもやってしまうところが
やっぱり凄いです(笑)